今日は おやすみ 

1人になると食べ物をぎゅうぎゅう詰め込むので とても気分が悪い

自分が汚くてたまらなくて眠れなくなる 時折あること  私をキズモノと称した父のこと 私をモノのように扱った従兄弟のこと

この世には とんでもない虐待や性被害に遭った人がごまんといる それを思うと 私は幸せに生きているわけで

今もよく考える 私はあのとき叫べばよかったのか、あの永遠に感じられた時間は本当は 正しい時のリズムで換算したなら 何分だったのか 何時間だったのか

さて 私には腕と肩と腿に傷がある  心の中で 山脈 と呼んでいる傷  そんな時期もあったわねアハ などと言ってみせる程度 容易くなったが 陽の光に透けるそれらを見た時 いつもじんと痛む

おとなになった私は 下世話な話だってできるし 世界の貧困に涙することも無くなった 空が青くても 花が綺麗でも 泣かなくなった

恐らく「ひどいこと」をされたわけでもなければ もちろん妊娠したわけでもなく 別の方向からみたならば 思春期男子のつまらない戯れに巻き込まれただけ

とまらなかった吐き気も胃痛も涙も 震えも もう過去のものである    それでも時々訪れる 永遠のような夜をどう過ごせば良いのだろう  行き場のない悲しみを 憎しみを どこに仕舞い込めば良いのだろう

どうしようもなさを 口にせずとも暮らせるようになった 傷を隠して生きられるようになった それは 完治 なのだろうか

 

でも たとえば君が、私が大切だと思う人が、苦しんでいるならば  それを否定するやつなんて死んでしまえばいいとおもう   誰にも冒されてはならないこころの柔らかいところに踏み込んでくる人なんて 消えて仕舞えばいいと思う

 

それでも 10代の私を守ってあげることは もうできない  世界の美しさを知っていた頃のわたしを どうやっても守ってあげられない

 

酔っ払っている時に 私の傷を撫でながら また自傷行為に至ったらさようならするというようなことを言われた 優しさなのか 疎ましいのか

そういう小さいことを反芻しながら じゃあ今すぐ1人で静かに終わりにしようかしら なんて考える